沖縄そば ― 2022年09月30日 10時56分
〆のラーメンも良いけど、沖縄そばはなんとも魅力的。鰹だしの効いたやさしい味わいが沁み入る感じ。今日の昼は沖縄そばかな、冷凍だけど。^^
最近のテレビ番組を見ていて感じたのは、料理をアップにするイメージシーンのライティングが妙に凝っていること。美味しそうには見えるけど、光が生っぽいのと回しすぎで、写真にすると厳しいだろうな。
とか言いながら、簡易的なライティングで撮影している私の写真も人のことは言えないかな。背後のライトにトレペをかましディヒューズするだけで、器の縁の光沢はもっと拡散できるのだけど。やはり、グリッドのダイレクトだと光が生っぽく少し硬い感じ。湯気がもっと多ければ、それほど気にはならないのだろうけど。
最近のテレビ番組を見ていて感じたのは、料理をアップにするイメージシーンのライティングが妙に凝っていること。美味しそうには見えるけど、光が生っぽいのと回しすぎで、写真にすると厳しいだろうな。
とか言いながら、簡易的なライティングで撮影している私の写真も人のことは言えないかな。背後のライトにトレペをかましディヒューズするだけで、器の縁の光沢はもっと拡散できるのだけど。やはり、グリッドのダイレクトだと光が生っぽく少し硬い感じ。湯気がもっと多ければ、それほど気にはならないのだろうけど。
祝 「特急停車」 昭和57年 ― 2022年09月30日 16時39分
懐かしくも面白い記事を見つけてしまい、町の広報誌から抜粋拝借。
入善駅に特急列車が初めて停車したときのもの。当時の私は中学生。
平日だったので見に行くことはできなかったけれど、花火が上がるなど、町全体がお祭り騒ぎに浮かれていたのを覚えています。
噂では、花束贈呈のターゲットとなった「白山4号」の発車時刻が大幅に遅れてしまったとか。今だったらアウトだろうけど、昭和の時代ならではのおおらかさが羨ましく思えます。
国鉄時代の特急は、県庁所在地と主要都市にしか停車しないのが常でしたが、市でもない小さな町に特急が停車するということは、当時として画期的なことだったのでしょう。
それ以前は、上野方面なら糸魚川まで鈍行列車で行って特急に乗り換えていたので、かなり便利になりました。その後、停車する特急の種別や本数も徐々に増え。
そういえば、急行「しらゆき・白馬」は入善駅を通過していたのですが、特急停車の少し前に停まるようになりました。停車を記念してか、両親と松本へ一泊旅行に行ったのを覚えています。
急行「白馬」は糸魚川で「しらゆき」と分割し、3両編成で大糸線を松本へ向かうディーゼル列車でした。エンジン音を響かせながら走る姿が勇ましく好きでした。
関連記事:https://koji-matsukura.asablo.jp/blog/cat/vehicle/
入善駅に特急列車が初めて停車したときのもの。当時の私は中学生。
平日だったので見に行くことはできなかったけれど、花火が上がるなど、町全体がお祭り騒ぎに浮かれていたのを覚えています。
噂では、花束贈呈のターゲットとなった「白山4号」の発車時刻が大幅に遅れてしまったとか。今だったらアウトだろうけど、昭和の時代ならではのおおらかさが羨ましく思えます。
国鉄時代の特急は、県庁所在地と主要都市にしか停車しないのが常でしたが、市でもない小さな町に特急が停車するということは、当時として画期的なことだったのでしょう。
それ以前は、上野方面なら糸魚川まで鈍行列車で行って特急に乗り換えていたので、かなり便利になりました。その後、停車する特急の種別や本数も徐々に増え。
そういえば、急行「しらゆき・白馬」は入善駅を通過していたのですが、特急停車の少し前に停まるようになりました。停車を記念してか、両親と松本へ一泊旅行に行ったのを覚えています。
急行「白馬」は糸魚川で「しらゆき」と分割し、3両編成で大糸線を松本へ向かうディーゼル列車でした。エンジン音を響かせながら走る姿が勇ましく好きでした。
関連記事:https://koji-matsukura.asablo.jp/blog/cat/vehicle/
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